『世の中には自分の力ではどうにもならない流れが存在する』 これが、私がこれまでの人生で約40年会社経営をしてきた結論である。 このことを説明するために、私のこれまでに歩んできた道をここでは、お話しておきたいと思う。

内田游雲の出自について

時間は、いまから50年ほど遡った小学校5年生の時に、私は父親を交通事故で亡くした。私が11歳の時である。父親は当時46歳で日本鋼管のサラリーマンをしていたので、当時としては、恵まれたほうの生活をしていたと思われる。

しかし、その頃は今ほど社会福祉も充実していなかったので、父親を亡くして、一転して暮し向きは急に苦しくなっていった。そこからは、母親が仕事をして、よくいう女手一つで育てられたのだ。

また、私には姉が一人いるが、出産時の障害で、一般的にいう知的障害児という状態である。姉は、現在も元気にしているが、一人での生活はできないので母親(認知症)と共に施設に入っている。

そんな私が18歳のとき、私を大学に進学させるために母親が飲食店を開業した。
それもなんと焼肉屋をだ。因みに韓国とは縁もゆかりも無い。両親とも出身は四国の香川県の山の中で、平家の落人伝説のある山村である。

もちろん母が、今まで焼肉屋の経験があった訳ではないので、とりあえず、FCに加盟して経営をすることになった。これが何とか少し成功したので、私は無事、大学に進学することができたのだ。(このあたりの詳しい話はあまり今回のテーマと関係ないので省略する)

大学では、建築学科を専攻した。
これには特に意味があったわけではなく、たまたま自分の成績で入れる学科だっただけである。ところが、これがその後の仕事に大きな影響をもたらすのだから、人生はわからないものだ。

大学生時代というものは、とても時間があったので、暇つぶしに宅地建物取引主任者の試験を受けてみたら無事合格。当時はこの資格が、後の仕事になるとは夢にも思っていなかった。

卒業時には、都内にある「バロックみたいな女性(ひと)」という口説き文句で有名な某建築家(故人)の設計事務所に就職が決まっていたのだが、実家のやっていた焼肉店が、経営不振に陥り何とかしなければいけなくなり、家業を仕方がなく継ぐことになった。あのまま、就職していたら、今頃高層ビルの設計なんかをしていたはずだ。

さて、この焼肉店だが、オープン当初は珍しくてよかったのだが、外食産業の強豪も増え、だんだんとお客が入らなくなってしまっていた。それはそうだ、経営のいろはも知らない女性が店を始めたのだから、そんなに上手くいくはずもない。(時代的にも、ちょっと早すぎた)

折りしもバブル時代の初めのことだったので、とにかく人手が見つからず、長男である私は、母親の手助けをしなければいけないと思い込んでいたので、結局、料理人の真似事を10年やることになった。このときの経験で調理師免許なんてものも実は持っていたりする。

とにかく、売上をなんとか上げようと考え、当時としてはとても珍しい韓国宮廷料理の専門店に変え、雑誌等にも掲載され、毎日行列ができるまでになった。

この時に、料理を教わったのが、当時、韓国の宮廷料理の第一人者といわれていた趙氏だった。(この方は、韓国の両班の出で本当に上品な方だった。すでにお亡くなりになっている。)

当時、NHKの講師などもつとめておられて、たいへん多忙なところを、毎週東京まで押しかけて半ば強引に料理を教わった。だから、いまでも韓国ドラマの「チャングムの誓い」に出てきた料理は、ほとんど作ることができる。(ちょっと自慢!)

業績が順調に回復して来たところで、知り合いの不振に陥った喫茶店を買い取って業績を回復させるかたちで、韓国料理店と、喫茶店を3店舗経営していた。

バブル狂騒曲に踊らされる

こうして、いくつかの取り組みをし、飲食業がそこそこ順調に売り上げを回復してきた折、バブル景気の到来である。当時、店舗を借りて経営していたのだが、ある日、近くの不動産屋が尋ねて来た。

この不動産屋がまた、頭が禿げてテカテカしていて、目つきが悪く、ちょうどTVドラマに出てくるような見るからに典型的な悪徳不動産屋みたいな人物だった。(もちろん見た目だけだが・・・)

大家さんが、メイン店舗の韓国料理店として借りている土地を売るから来月で出てってくれという話だった。俗に言う、地上げというやつだ。

まさに青天の霹靂である。
とりあえず、そこそこの蓄えがあったので、買い取るから売って欲しいというと、時価の2倍の値段を提示された。1.5倍までは、無理して買い取る覚悟はしていたのだが、とても、そんな値段だと買う力はない。

かといって、他で改めて店舗を開店するには、かなりの投資が必要になる。バブルの時代というのはそういう時代だった。このバブルの時期は、同じように閉店した店が巷にあふれていた。

さすがに、これではどうしようもなく、しかたなく飲食店を全部たたむことにしたのだ。
新しい店舗を構えてもとても採算が取れないし、喫茶店に関しては、家賃の上昇で利益が減ってしまってきたので飲食業は、潔く辞めることにした。
バブルの時代というのはそういう時代であった。

しかし、今後どうやって食べていくかを考えると、さすがに途方に暮れてしまった。

たまたま、このバブル景気が到来する前ごろから、不動産投資を始めていて、ちょうど、東京の西新宿にマンションを投資としていくつか購入していた。
当時はたしか1戸700万円ほどだったと思う。
購入した1年後、都庁の移転が決まった。
(買ったときには、移転計画があることも知らなかった)
そして、バブルの恐ろしいほどの不動産の高騰が始まる。

狂乱のバブル時代の恩恵を受ける

買値700万円のマンションが、最高値で9,800万円の値がついた。
まさに、幻の価格である。
そして、バブルがはじけると、あっという間に下がり始めたのだ。
この様子を見て、あわてて処分したが、数戸の同じ場所の同じ広さのマンションを、1週間ごとに売ったのだが1,000万円程度のの価格差があった。
なんと、1週間で1,000万円ずつ価値が下がったのである。

購入したのは、いずれも不動産会社だった。
あの後どうしたのだろうか。
おそらくこの会社は既に無いだろう。
この時の利益で会社の土地と建物の頭金にしてテナントビルを作ることになる。
これは税金を取られないために無理やり買換えをするはめになる。

しかし、バブルが崩壊して、世の中は不景気になり、今度は、テナントビルの入居者がなかなか決まらない。
不動産屋にまかせてもうまくいかない上に、焼肉店のほうは立ち退きを迫られていて、これは、自分が行って入居者を探そう。
それなら、いっそのこと仕事を変えて不動産業をやってしまおう。
(まったく、怖いもの知らずだった)

幸いなことに、大学時代に宅建の資格は取ってあったし、一番募集しにくい最上階を事務所にして、自分でテナントを探していこう。
そうすれば、次の仕事にもなるし一石二鳥だと考えたのだ。
当初は、テナントビルだけの予定だったのだが、そこの最上階に会社を移し不動産業を始めることにしたのだ。

しかし、ここからまた、困難に直面することになる。

困難は努力で越えられるはず

さて、こうして、不動産業をはじめることになるのだが、自分で不動産業を始めて、ビルの入居者は見つかったのだが、不動産業そのものはまったくの素人だ。
ハッキリ言って何やっていいかわからない。正直、本当に困った。

テナントも決まって、仕事もうまくいって万々歳というほど、世の中は甘くはない。
さらに、あれほど景気が良かった業界に大きな変化が押し寄せてきたのだ。
バブルの崩壊が地方にも波及してきたのである。
やっと、不動産業に転身を決めて、免許を申請したばかりの頃だ。不動産業をやっていたというと、よくバブルの頃は儲かったでしょうといわれるが、バブルの時はギリギリ不動産業やってなかったのだ。
だから、全くいい思いはしていない。

このバブルの崩壊で、多くの不動産屋が潰れていった。
そんななかで、いきなり経験も無くはじめた不動産屋に仕事が来るわけがない。
業界に入ってはじめて知ったが、不動産業ってだいたいどこかの不動産会社で仕事を覚えて独立するものなのだ。
そうすれば、幾人かのお客さんや、多くの伝手を持って始めることができる。

それをまったく経験の無い、ただ免許を持っているだけで開業してしまったのだから、そりゃあ仕事なんかあるわけがない。
今だからいえるが1年半ほどはまったく仕事がなかった。もちろん赤字だ。

この時には、なんと2,000万円近い赤字を負ってしまうことになった。
このままじゃあ、一家心中しなければならないかもしれないと真剣に考えた。
とにかく。毎日、どうしたらお客さんに来てもらえるかそればかり考えていた。
しかし、それでもまったく売り上げのない状態が続くことになる。

人間本当に困ると、何かしら知恵が出てくるものである。
ある時にふと思った。お客は、いったい不動産を探すときにどんなことを考えているのだろうかと。

そう考えてみると、一生に一回の買い物だから、ゆっくり品定めして見比べてから買いたいのではないかと思いあたる。
ところが、当時は、いざ不動産を探そうとすると、いろいろな不動産会社に電話をかけて、強引な売込みに嫌な思いをしながら探さなければいけないのが現実だった。

それならば、うちで、全部の物件を揃えておいて紹介すればいい。
そうすれば、お客は、あちこち行かなくて済む、嫌な思いもしなくて住むのではないか。そう考えたのだ。
こうして、考え付いたのが自社独自の『不動産物件情報誌』の作成だ。
今では、当たり前のように存在するが、当時は、まだこうした取り組みが業界でほとんど行われていなかった。

とにかくお客も来なくて暇だったので、趣味でいじっていたパソコンで自作のデータベースを作り、売りに出されている不動産の広告を片端から打ち込んでいった。
(なにせ他にやることがなかった。)

当社に入ってきた情報をすべて整理して登録し、お客の希望を聞いて、その希望に合った物件を抽出できるように作成した。
ちなみに、この時にはまだWindowsではなく、MS-DOSの時代で『桐』(懐かしい!)で自力でデーターベースを作成していた。
こうして作った情報を冊子にして銀行においていただいたり、知り合い全部に郵送したのだ。

まさに一か八かの賭けである。
これでうまくいかなかったら不動産業をやめるつもりでいた。
送って2日ほどしたら、いままで、まったく鳴らなかった電話が鳴り始めたのだ。
今でもそのときのことをよく覚えているが、うれしくて涙が出そうになった。
初めて当社で、買っていただいたお客様のことは、今でも忘れられない。

こうして、やっとお客にみとめられて不動産業としての一歩を踏み出せたのだ。
そして、そのうちに、このデータを整理して銀行の融資担当に送ったり、住宅メーカーの営業マンの方に送ったところ、そこからも、ぼちぼちお客を紹介してもらえるようになり売上が上がりだしたのだ。

半年ぐらい経つと、銀行の物件査定資料の基本データとして、多くの銀行から問い合わせが来るようになり、裁判所などの依頼で、物件の実売価格の査定などもするようになった。

お客からも大変好評で、大きな支持を得ていた。
なにせ、このデータベースには、不動産のデータだけではなくて新聞に載った事件等のデータも入力していた。

要するに、その土地の近所に事件を起こすような人が住んでいるかどうかが、これをみると一目瞭然だったのだ。
いまだと、個人情報保護法で住所とか掲載されていないが、当時は新聞に事件の犯人の住所が載っていた時代である。

困難は努力で乗り越えられると信じていた時期であった。
これで、順風満帆かと思えば、やっはり世の中そんなにうまいことばかりない。

人の敵は人であると実感する

ある日、業界の団体の理事会に呼び出され、最初のつるしあげを受ける。
広告に載った情報を、二次利用することはだめだと言われた。
(実はそんなことはなく、九州や四国でも同様のことを考えた方がいて、業界の研修会で講演までしていた。後から知ったのだが・・・。)

結局、業界の圧力でこの方法は止めることになった。
当時、市内の取引の5%近くを当社で取引を行っていたので、おもいっきり、妬まれていたみたいである・・・(T_T)

この頃に、神田昌典氏の顧客獲得実践会に参加していたので、こんどは、顧客密着をテーマに、ダイレクトレスポンスマーケティングを導入することにした。

ニュースレターを書いて、顧客の囲い込みを20年間続けることを基本方針として、展開していった。
このあたりから、現在の確率的な世界観に思い当たるようになった。

チラシも研究を重ね、あるチラシパターンを使って4%の反応率を、ほぼ確実に得ることができるようになる。4%ということは、1000枚のチラシを入れると、40人の見込客を獲得できるということだ。

不動産の場合、0.2%あればかなりいいほうなので、通常の20倍の反応率である。1000枚のチラシ広告費が印刷費や折込代を含めても約1万円なので、もうむちゃくちゃな高利益のビジネスモデルが完成したのである。

ところがここでも、2回目の業界団体からのお呼び出しである。
なんでも、チラシが広告の規制に違反するとのことだった。
実は、このチラシを作る時に、東京の不動産の法律関係専門の事務所に相談をし、一部気になる表現があるけど、問題はないでしょうとは言われていた。

そのために、念のために広告はピンポイントで、問題が起きないように少量ずつ投入していたのだが、同業者からのクレームで業界からの2度目のつるしあげである。
さすがに業界の対応に辟易してきて、「はいはい、もう好きにして」って感じだった。

そんな折、不動産価格の動きに急激な変化が見られ始めた。
売りに出る物件より、購入希望者のほうが少なくなってきたのだ。
その理由は簡単だ。地域内人口が減り始めたのだ。

不動産においては、絶対的な真理が一つある。
それは、基本的に人口の減っている地域で、不動産の価値や賃料が上昇することはあり得ないし、取引が活発に行われることもあり得ないということだ。

だんだん、不動産業の未来が見えなくなって、先が見えてしまった。そこで、不動産業から転身することを考え始めたのだ。
そこで、私が直接教わっていたそれぞれの師に相談を持ちかけてみた。

邱永漢氏曰く
「不動産業はつまらないですよ。決して金持ちになれません。いつもあの頃この辺はこんなに高かったといいながら、小さい事務所で細々とやっています。」

神田昌典氏曰く
「ちょっと、いい方法が思いつかないですね。それより、もっと成長する分野に力を注いだほうが、簡単にいきますよ。考えてみたら?」

矢部廣重氏
「ごめん、どうやったら大きくなるか、正直イメージが湧かないんだ。他の業種だったら10億、20億のビジネスモデルをイメージできるんだけど、業種的に厳しい気がする・・・」

私は、これらの回答を聞いて、不動産業から転身するべきだと思い始めたのだ。
こうして不動産業を行うことに苦痛を感じていた頃、決定的な事件が起こる。

これが最後のつもりで、この利益をもって、仕事を変えようと思い住宅地の開発をしていた時のことである。
分譲地の売り出しで問題が発生したのだ。

この分譲は、建築デザイナー設計のモデルハウスを建てて、その雰囲気の良さと割安感で十数戸の分譲地を販売する予定だった。

そこの場所は、小さな町工場が近くにあった場所なのだが、騒音も全くなく住環境は何の問題も無かった。計画した時点では。

進むべき道が誤っていた

ところが、モデルハウスが完成して見学会を行い好調な滑り出しを見せていたそんな矢先である。近くの町工場が不況によって複数ある工場を整理して一箇所に統合し塗装の仕事まで始めてしまったのだ。
これで、辺りに一日中シンナーのような匂いが漂うようになってしまったのだ。

「おいおい、聞いてないよ!」

既に契約していた物件が次々とキャンセルされ、もう事務所はパニック状態である。
それでも、なんとか計画を立て直して、
当初の予定を大幅に変更して、利益を少なくしてでも、とにかく販売を急ぐことにした。

しかし、神様はこのまま放っておいてくれない。

不幸というのは、たいてい二重構造になっているもので、さらなる試練が訪れるのだ。
諺に、「泣きっ面に蜂」という言葉がある。よく言ったもので、悪い時には、悪いことが必ずと言っていいほど重なる。

「易経」には坎為水(かんいすい)という卦がある。
本当の苦しみ という のは二重構造になっていて、一つの苦難を怖れ、もがき苦しむことで、もう一つの苦難に陥ってしまうという卦である。

つまり、不運はたいてい2重構造になっている。
坎為水の水は苦しみを表し、坎は土が欠けると書いて穴を意味する。
八卦の水が二つ重なって、水が次々に押し寄せてくる。
つまり苦しみに次ぐ苦しみ、穴また穴に陥ってしまう。
どん底の苦しみを経験するという卦である。

この時はまさにそんな状態で、販売開始した分譲地にキャンセルが続出し始めた時、共同で事業を行っていた会社がいきなり倒産した。

「おいおい、せめて事前に教えてくれ~」

思わずそう叫んでしまった。たいてい会社の倒産などは突然に起こる。もうこれで、計画もへったくれもなくなった。とにかく、傷口を最小限に抑えるしか生き残る方法がなくなったのだ。

もう、叩き売りだ。
バナナじゃない!
不動産だ!

これをきっかけに、デベロッパー事業から完全に手を引くことになった。
というか、そうせざるを得なかったのだ。
銀行が金を貸してくれなくなったのだ。
この事件を契機に不動産業から、完全に足を洗う決心をした。

この時期は不動産の取引やデベロッパーとして、住宅地開発みたいなこともやっていたので、結構派手に金を動かして仕事をしていた。
不動産のデベロッパーなので普通に数億円って単位で金が回っていたのだが、しかし、手元に残る金はなぜかそんなにない。
何億円って売り上げても、給料払って、銀行に返済したらう~ん、なんじゃこりゃって感じである。

潜伏し雌伏の時代を過ごす

これが、次の仕事を考える上で、資本がかからない、そういった仕事を選ぼうと考えるきっかけになった。
そこで考えたのが、コンサルタントという仕事である。
とにかく、元手がかからない。うまくいけば一発、当てれそう。
この時は、それだけを考えていた。
さて、そもそも、コンサルタントとはどんな職業なのだろうか?

コンサルタントとは、ある事柄について助言・指導を行う専門家のことだ。
簡単に表現するならば相談役だ。
だから、特別な資格は必要ない。
もちろん、一部にはそういった資格を認定しているところもあるが、絶対必要なものではない。

基本的に、専門家として、助言や指導を行うので、専門知識が有りさえすれば、誰でもコンサルタントになることができる。
ところが、誰でもなれるということを、ほとんどの人が知らない。

コンサルタントと名乗るだけで、
「すごいですね~」と大抵返ってくる。
すごくないんだよ!全然。
基本的に、自分が名乗れば誰でも、それで、コンサルタントになることができる。

アメリカの映画やドラマなどを観ていると、詐欺師がFBIのコンサルタントになっていたりする。ディカプリオが主演した「Catch Me If You Can」などが代表だ。TVドラマでは、「メンタリスト」や「ホワイトカラー」などが、詐欺師や泥棒をコンサルタントとして迎えている。同様に、探偵をコンサルタントとして雇っているのは「エレメンタリ-」アメリカ版のホームズとワトソンだ。さらに、天才数学者「NUMBERS」や霊能者を雇う「ミディアム」などもある。

とにかく、何らかの専門的知識があれば、コンサルタントとして活動をすることができるのだ。あとは、その専門知識を誰かが認めて金を払ってくれればいいだけである。

ただ、どのジャンルの専門家として立っていくかは、これまでのキャリアがものを言うことになる。私の場合は、飲食店や不動産業の経験、不動産投資の実践、小さな会社の30年以上の経営経験、さらには、占い師としての経験。こうしたものの組み合わせとなる。

そして、この時に大事なのは、どうすれば専門家として認知をされ、そこからクライアントを獲得していくかという方法論となる。現実に、コンサルタントになったとして、どうやってクライアントを見つけて、増やしていったらいいのかまったくわからなかった。

こうして神様の試練はまだまだ続くことになる。
何をやっても、売上が上がらないのだ。
この時期が2年近く続くことになる。
一番生活が苦しかったのがこの頃だ。

どん底の下にもどん底がある

人間は、金がないと本当に辛い。
借りた金が返せなくなると

「おまえなんか、人間のクズだ」
「犯罪者だ!」
とか、平気で言われる。
もう、生きている価値がないと思わされるところまで追い込まれる。

「お前は、その利息で食ってるんだろうが?」
そう何度も言いたくなった。生命保険を頼りに何度か自殺してそれで、チャラにしようかと何度も思った。相手も、普通にほのめかすのだ。ヤクザじゃない。普通の銀行員が、苦しんでいる時に生命保険の話をしてくる。

でね、
「いつ、いくら払えますか?」
こう迫るのだ。

そんなのわかるわけない。
給料もらってるわけんじゃない。
自分で稼いでなんぼなわけだから、いつ、いくらなんて言えるわけもない。
でも、言わなければならないから、まあ、予想を言うことになる。
そして、うまくいかない。
そうするとさらに、また責められる。

もう、このあたりで精神的にボロボロになる。

私と、リアルに会った人は、金の話をよくするので、
「そんなに金が好きなんですか?」
そうよく言われる。

しかし、金の苦しみから逃れるためには、現実的なスキルが必要になる。具体的に言えば、金を稼ぐスキルであり、その金を増やすスキルである。
これがないと、いくら精神的に満たされても、結局は、元の木阿弥だ。

いろんな経験をしてきたからこそ、これだけは、はっきり言える。
金は、人生の問題の8~9割の問題を間違いなく解決することができる。
逆に言えば、金がないと苦しみから絶対に抜け出せなくなるのだ。

私は、父親が死んだ時に、わずかばかりの保険金を奪い合い、罵り合う親戚の姿を間近に見てきた。
人間は、金がないと、とても醜いのだ。

だから、金なんて重要じゃないと綺麗事をいう人、私は、大嫌いである。
そんな奴は、今の日本で餓死する本当の現実を知らないからだ。

私は、会社を閉めた時に、極度の貧乏になったので
「金があったら…」
そう毎日のように思っていたし、必死で金を稼ぐことばかりを考えていた。

「世の中金じゃないよ」
なんて、そんな綺麗事は決して思えなかった。

現実に金が無くなってみると、ただ生きていくだけで、今の時代は、すごく金がかかることに気づく。
私の場合、会社を閉める前までは、年収3000万円ほどだったので、金に不自由することはなかった。
しかし、会社を突然に閉め、貯金を全部借金の返済に回し、一瞬にして収入が0になってしまった。

金がなくなると最初に、光熱費や電話代が払えなくなる。
まず、最初に止まるのは電話だ。
そのあと、ガス・電気の順にたいていダメになる。
水道すら、あっけなく止まる。

昔は、生死に関わるから水道は止めないと言われていたが、今は外注化されているので、あっという間に止まってしまう。
こういうところが、今の日本は、冷たくなったなと感じるところだ。

今でも時々、仕事がなくて餓死したニュースが、TVなどで取り上げられるが、全て例外なく、電気・ガス・水道と、全部止まっている。
一度止まってしまうと、溜まっている金を払わないと開栓してくれない。

金が払えないから止まったのだから、それを、溜まった光熱費を払うなんてできっこない。溜まった光熱費を払うと家賃が払えなくなる。溜まった家賃を払うと食費がなくなる。そして、今度は食べるものがなくなる。

「今の日本で?」
そう思われるかもしれないが、本当にそうなる。
あっというまに、そうした状態に転げ落ちることになる。
これ、リアルな話だ。

ニュースでも、時々、母子家庭で飢え死にしたニュースが取り上げられたりする。
今の時代は一歩踏み外すと、食べ物も買えなくなる。
一度、負のスパイラルに入ると、なかなか抜け出せないのが現代の日本だ。

あなたはスーパーで、ペットのうさぎの餌にするといって、捨ててあるキャベツの外側の葉をもらってサラダにしたことあるだろうか。
私はそうやって、食料を確保していた。

この頃の一日の生活費は千円だった。
家族3人でだ。
つまり、一人333円で一日を乗り切っていた。
生活保護を受給した場合、当時は一人一日1,000円が基準だ。
つまり、生活保護家庭よりひどい貧困の状態である。

職を失うと、これが、現実になる。
結構あっという間に、ここまで来るのだ。
別に脅しているわけではない。
不愉快に感じるかもしれないが、これが現実社会の姿なのだ。

金がなくなると、女の子は、体売らなければいけなくなる。
男は、売るものがないと腎臓や眼球などの内臓を売ることになる。
これが、東南アジアの貧しい地域の現実だ。
日本でもニュースになっていないだけで、こうしたことが日常で行われている。

金を稼ぐスキルを持っていないと、何かあった時には、子供売ったり、文字通り体売らなければいけなくなるのだ。

私も、この状況から脱するのに何をするか?
とりあえず、資金0で始められる仕事は何か?
有り体に言えば、元手なしでどうやって金を稼ぐか?

これを必死で考えていた。
手元にあったのは、一台のパソコン。
もう、こうなったらネットで稼ぐことしか思い浮かばなかった。

身を捨てれば浮かぶ瀬もある

しかし、とにかくまず、緊急に食費を稼がなければいけないので、オークションから手を付けた。
家の中にある、ありとあらゆるものを、オークションで売りまくった。
とにかく必死である。なにせ売れないと、食べるものがないのだ。

結構、売りまくった。

持っていた希少な占術関係の本とか・・・
写真集。映画のパンフレット
携帯電話…

このときに気づくのだが、物を持つということは、人生においてマイナスにしかならない。物にあふれる生活をしていると、住居を売るときに、処分代がむちゃくちゃかかる。

さらに、そのものを購入した時の金を運用しておけば、凄まじい増え方をしていたはずだ。

資本主義社会の基本ルールは、稼いだ金以下で生活することである。しかし、より正確に言えば、物をできるだけ買わずに、金をできるだけ使わず貯め、金で金を稼がせることである。
そのために必要なことは、生活をダウングレードさせてミニマリスト(最小限主義者)になることだ。これが最強の生き方になる。

こうした話を聞いても、今は、全く他人事に用に感じるかもしれない。
しかし、ある日突然、それは、起こるのだ。
リストラ、解雇、会社の倒産、もしかしたら、自分のミスでそうなるかもしれない。
まったく自分の責任がなくても、そうなるかもしれない。

そうなると、収入があっという間に0になる。
貯金もすぐ0になってしまう。
さらに今後、増税や輸入品による食料品、光熱費などが上がっていくだろう。
普通に暮らしていても、収入が増えなければ、生活はどんどん大変になる。
だから、金は綺麗事抜きで稼がないとダメだ。
さらに稼いだ金は使ってはいけないのだ。
好き嫌いはともかく、それが資本主義を生き抜くための基本のルールなのである。

ネット集客には時間がかかる

さて話をコンサルタントに戻すことにする。
どのように集客をしたらいいかわからなかったので、インターネットから集客しようと考えた。なにせ金がなかった。
ネットからなら、タダで集客できる。
そう考えたのだ。今考えると、あまりにも甘い考えである。

インターネットを使った集客する方法というのは、現在大きく分けると3つしかない。
それは、 「SEO」「広告」「SNS」、 この3つである。
もちろん、それぞれに奥が深く一筋縄ではいかない。

「SEO」と一言で言っても、そこには検索エンジンの対策を行う必要がある。
その為には、読者にとって有益なコンテンツ制作が必須になる。
「SEO」は今は、サイト構造やキーワードではなく、コンテンツマーケティングの色が強くなっている。

「広告」は、検索エンジン広告から、YDNやインフィード広告、さらにはFacebook広告などにも広がっている。

「SNS」は、facebookやTwitter、さらには、インスタグラムなど、性格の異なるインフラが多くある。そして、それぞれに、専門家がいるわけだ。

問題なのは、インターネットで集客を、したい場合に、どうしたらいいかということを理解していないということだ。
ネットから集客するということは、なんらかの登録ページや、直接お店に来てもらうためのページを作って、そこにどうやって人を集めてくるかということであって、それ以外の何ものでもないということである。

では、その集客を上記3つのどれを使ってやるのがいいのか?
または、組み合わせてどうやるか?

これだけである。 これをまず理解しておく必要がある。
そうすれば、どのような知識や作業が必要なのかが見えてくる。
ただ、闇雲に、ネットから集客できれば、費用が掛からずに簡単にできそうだというイメージだけで取り組んでも決して上手くいくものではない。

私はそれで苦労することになった。
まず、全体像をしっかりとつかみ、どこをやるかを明確にして取り組むことだ。

そして、もう一つ重要な事は、ネットからの集客は、それなりの時間がかかるものだということだ。ここも勘違いする人が多いのだが、ネットからの集客は、取り組んですぐに結果が出るものでない。かなりの時間(広告以外は半年以上)がかかると思っておくべきだ。だから、ある程度余裕がないと、継続できないで失敗する事になる。

こういったことを踏まえた上で、じっくり取り組むのがネットからの集客だったのだ。だから、ここに取り組んだとしても、なかなか成果が上がらないのは当たり前だったのである。それでも諦めずに、ネット集客に取り組み続けて、これまで多くの業種のコンサルティングをさせてもらうことができた。

起業から携わったこと場合もあるし、傾きかけた会社を立て直したことも有った。
さらに大手上場企業の新規事業の立ち上げにも携わった。

ざっと上げるだけでも、広告代理店、イベント企画会社、印刷会社、健康食品販売会社、ネットショップ、歯科医院、飲食店、パブ、タレントプロダクション、不動産業、不動産賃貸業、ソフトウェア会社。

さらには、エステサロン、占い師、セラピスト、医療機器販売、マーケティングコンサルタント(つまりコンサルタントのコンサルタント)、ブティック、日曜衣料品店、家電販売店、税理士、ネット起業家、気功師、最近では、上場企業のコンサルティングも数社請け負っている。

 
内田游雲
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