お金は紙幣や硬貨としては限られるが、銀行の信用創造や証券化によって数字上は際限なく増えていく。日本の法定準備率が0.1%前後のため、1万円の預金が理論上1000万円以上に化ける可能性もある。こうして湯水のごとく増えるお金は、実際には一部の投資家や企業の間を巡るだけで、私たちには届きにくい構造がある。このギャップこそが「無限にお金があるはずなのに足りない」という不思議を生み出しているのだ(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングやコーチングを専門に行っている。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトのテーマ「気の経営」とは、この世界の法則や社会の仕組みを理解し、時流を見極めてスモールビジネス経営を考えることである。他にも運をテーマにしたブログ「運の研究-洩天機-」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
この世の中に、無限に存在するもの。それは、空気でも水でもなく、なんとお金だ。つまり湯水のごとく存在するのがお金である。
どこまでも無限増殖するお金の謎
そんなはずはない」と思う人も多いかもしれない。私たちの多くは、給料日までのやりくりや、ローンの返済などを考えると、「お金はいくらあっても足りない」と感じているからだ。
だが実は、お金とはその本質が「信用」によって成り立っており、いくらでも膨れ上がる仕組みをもっている。
お金は限りあるものだと思い込んでいる人が多い。ところが、実際にはこの世の中には想像を超えるほど大量のお金が存在している。しかも、その仕組みをひも解いてみると、お金の量はどんどん膨らみ続けているのだ。
なぜそんなことが起こるのか。実は、「お金の量」の増加には「信用創造」という仕掛けが深く関わっている。
驚くほど少ない“現金”の正体
はじめに、日本にどれくらいの現金が存在しているかを確認する。
2018年12月末時点の日銀の通貨発行残高は約110.4兆円である。100兆円を超えると言われれば、確かにすごい額だと感じるかもしれない。ところが、日本の国家予算は同じ年で約101兆円なので、国家予算と比べてもほぼ拮抗する程度の金額でしかない。
「それでも多い」と感じるかもしれないが、ここで注目したいのは、家計などが保有する金融資産との比較である。日本全体の家計が持つ預貯金や株式などの合計額は、2018年時点で約1829兆円に達している。
ここで「おや?」と思うはずだ。世の中に現金は110兆円しか存在しないはずなのに、人々の手元にあるとされるお金(金融資産)が1829兆円もあるのは、一体どういう仕組みなのか。
もちろん、単純に現金と金融資産をイコールで比較するのは乱暴かもしれない。だが、「国民一人ひとりが自分の預金を現金化しようとしたら、そんなにたくさんの現金は存在しない」というのは、れっきとした事実なのである。
つまり、私たちが普段「ある」と思っているお金の大半は、実は現物として存在するわけではないのだ。
お金を増やす“信用創造”という魔法
この不思議な現象のカギとなるのが「信用創造」である。
これは、銀行のしくみが生み出す「魔法」のようなプロセスだ。銀行は、預金者からお金を預かり、その一部を支払準備として手元に残しつつ、残りを企業などに貸し出している。借り手が資金を使って取引先に支払いをすると、受け取った相手は再び銀行に預金する。すると銀行には新たな預金が生まれ、その一部をまた貸し出しに回すことができる。
こうした貸し出しと預け入れを繰り返すうちに、実際の現金の何倍、何十倍もの預金通貨が生まれていく。これが信用創造という仕組みだ。日本の法定準備率は0.1%(※時期により多少前後するが、2018年前後はその水準)なので、ざっくり言えば1万円の預金が最大で1万円÷0.001=1000万円にまで膨れ上がる計算になる。
もちろん、銀行のリスク管理や規制などで理論通りに極限まで増えることはないとしても、現実に数字上でお金が増えていくプロセスが日常的に進行しているのだ。
実体としての現金(紙幣や硬貨)は110兆円しかないのに、私たちが「自分のお金」として認識している預金残高ははるかに大きい。これはまさに信用創造がもたらす数字上の増殖のたまものなのである。
証券化とレバレッジの果てしない輪
信用創造は、銀行からの直接貸し付けで終わらない。貸付債権は証券化され、金融商品として投資家や企業に転売される。たとえば、住宅ローンや企業向けローンをプールして債券化し、それを売買することで、さらに流動性が高まる。証券として転売されたローンは、担保価値をもつ一つの商品となる。これらの証券が資産として運用され、また別の融資や取引の元手となることで、新たなお金の量が発生する。
このプロセスにはレバレッジ(てこ)の概念も大きく絡む。金融機関や投資家は、保有する資産を担保に追加の借り入れを行い、その資金をさらに運用する。こうして「お金がお金を生む」連鎖が繰り返されていくと、元手の数倍、数十倍、場合によってはそれ以上の規模の取引が可能になってしまう。
つまり、ほんのわずかな現金や資産が「膨大なお金の量」へと化けていくわけだ。元をたどれば銀行が預かったわずかな金額が、さまざまな金融技術とレバレッジを経由して数十倍から数百倍に増幅されるケースもある。もはや誰も全体像を正確に把握できないほど、お金は数字として膨らみ続けている。
世界を覆うデジタル通貨の拡大
お金の増殖は、紙幣や硬貨といった目に見える形だけに留まらない。今日では、銀行口座の数字はもちろん、電子マネーやQRコード決済、仮想通貨、ポイントやマイルなどのさまざまな形の“お金もどき”が存在している。
カード決済やアプリ決済が広がり、私たちは実際に現金を手にすることなく、多くの場合、数字のやり取りだけで支払いを完了している。
これらのデジタルなお金は、理論上、発行主体や運用ルールの範囲でいくらでも増やせる性質をもつ。もちろん技術的な制約や規制はあるが、株式取引や外国為替取引など巨大なデリバティブ市場を考えると、世界規模でお金の流通量は膨大だ。さらに新しいIT技術やフィンテック企業が参入し、送金や決済が効率化されるほど、お金のネットワークは広がり続けていく。
あまりに多くの形態のお金があり、複雑に絡み合っているため、正確な総量を把握するのはほとんど不可能に近い。たとえスーパーコンピューターを使って計算しようとしても、計算を進めている間に新しいお金がどこかで生まれてしまうからだ。
無限のお金と私たちの暮らし
ここまで見ると、「世界にはお金が無限にあるのではないか?」と錯覚しそうになる。実際、私たちの暮らしを取り巻くお金の量は際限なく膨れ上がっている。にもかかわらず、なぜ私たちの財布は満たされないのか。
その一つの要因としては、実際に手元に流れてくるお金と、数字上膨れ上がっているお金の流れが必ずしも一致しないことが挙げられる。莫大な金融取引で生まれた利益は、一部の企業や投資家の間を循環するだけで、必ずしも労働者や個人消費者には行き渡らない。さらに、税制や社会保障費などの負担構造によって、個々人の手取りが増えにくい仕組みも存在する。
また、政府の負債を「国民一人あたり○○円の借金」と表現して、あたかも国民が直接借金しているかのように思わせるプロパガンダもある。
しかし実際には、国民は貸す側であったり、別の形で国債を買っていたりする。こうした「借金大国」というイメージばかりが先行すると、人々は「財政は厳しい」「自分たちにお金は回らない」と思い込んでしまう。こうした心理的要因が、個々人の生活感覚と「無限にあるお金」との乖離を生むのだ。
お金の量は本当に無限なのか
こうしてみると、お金の量が膨大な理由の中心には「信用創造」という仕組みがある。銀行が預金を貸し出し、その貸し出しがまた預金として戻り、さらに貸し出し、というサイクルが繰り返されることで、お金の数字が肥大化している。
さらに、貸付債権は証券化によって世界中の投資家を巻き込み、レバレッジを使って取引額が幾重にも膨らむ。近年は、電子決済やデジタル通貨が当たり前となり、その増加スピードはさらに加速している。
このように、お金が実体を伴わずに拡大していくからこそ、世界には「ほぼ無限」とさえ言えるほどのお金が存在する。
もっとも、その「無限の富」を使いこなしているのは、仕組みを熟知している一部の人や組織に限られるという現実も見えてくる。私たちは、「お金の量」そのものが不足しているわけではないのに、日々「お金が足りない」と感じているのだ。
しかし、お金とは人々の信頼や社会のルールの上に成り立つ仕組みに過ぎない。だからこそ、仕組みを学び、そのルールをうまく活用できれば、お金に対する不安はぐっと小さくなる。
お金は、確かに空気や水のように目の前には見えないかもしれないが、その実態はむしろ空気や水以上に増え続けている。
この「信用創造」のメカニズムを理解することは、資本主義社会を生き抜くうえで欠かせない視点となる。自分の手元にはなかなか回ってこないように感じても、世界には果てしないお金が存在している。