経営の本質とは何か

経営の本質とは何か

中小零細企業や個人事業のような小さな会社であったとしても、経営をするということは、責任を負うということだ。まず、お客に対して責任を負い、従業員に対して責任を負い、家族に対して責任を負い、そして、自分の人生に対して責任を負うのだ。さらに、地域社会に対して責任を負い、国に対して責任を負い、世界に対して責任を負うことである。自分の利益だけではなく、公益を追求することこそが経営の本質になる。(内田游雲)

profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトのテーマ「気の経営」とは、この世界の法則や社会の仕組みを理解し、時流を見極めて経営を考えることである。他にも運をテーマにしたブログ「洩天機-運の研究」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

経営の本質とは何か

「本当のビジネスとは何だろうか?」
「経営の本質とは何だろうか?」

いきなりな質問だが、コンサルティングで多くの社長たちの話を聞いていると、なんか、やっぱり少し違うのではないかという気がする。利益だけを追求し、人件費をできるだけ下げ、税金を1円でもすくなるように奔走する。そして、お客の夢や欲望を煽り立てて、とにかく売れて、利益だけが多ければいい。そんな話に聞こえてくるのだ。

確かに企業の目的は、利益の追求である。これは間違いはない。しかしそれだけではないはずだ。これは、中小や個人事業のみならず大企業の多くも同じ状態だ。確かにそうすれば、利益を増やすことができる。しかし、はたして、それで満足なのだろうか?

税金を納めるということは、その地域に還元するということだ。これをしないということは、その結果、地域や国が疲弊し、会社だけが内部留保をして膨れ上がることになる。社会の恩恵の上にたって、商売をしているのに、その社会にはできる限り還元をしようとはしない。これでは、まっとうな商売とは言えないはずだが間違っているだろうか?

そもそも、そんなことの為に、経営者は、自分の貴重な人生を費やしている。そんな生き方で悔いは無いのだろうか。声を大にして言いたい。人生とは一回しかないのだ。それを、ただ商品を売ってお金を集めるだけの人生で本当にいいのだろうか。

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すべての人の人生には期限がある

誰の人生にも期限がある。私たちのこの人生とは、最初から期限付きなのだ。誰もが平等に、一分一秒、終わりに向かって爆進している。気がついたら、あっという間に、年老いてしまっている。そして、この過ぎていった時間は、もう二度と戻ってこないのだ。これは、みんな知っていることだ。みんな解っている事である。では、あなたは、何のために生きているのかということだ。お金稼いで、豪華な家に住んで、贅沢なものを食べて、それで満足なのだろうか。

経営者は、ここを一度考えてみて欲しい。もちろん、これから経営者になろうとする人も同じだ。

通常の人は、一日の約1/3の時間を仕事に当てている。寝る時間や、食事の時間などの生きていく上で必要な時間を引くと、その大部分を仕事に費やしていることになる。つまり仕事をするということは、どのような人生を生きるかということと同じことなのだ。

だから、どのような仕事をするかが重要になる。

たった一回のきりの人生を「知命」し、仕事を「天命」と信じる。そして、自分の「使命」とは、いったい何かをしっかりと把握して「立命」する。これこそが、仕事をするという本当の意味だ。

ドラッカーにおける経営論

世界的な経営学者のP.F.ドラッカーは、その著書『マネジメント』で次のように書いている。

マネジメントはもともと権力をもたない。
責任を持つだけである。
その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。
それ以上のなにものももたない。

『マネジメント』P.F.ドラッカー

経営をするということは、人を統制、管理する権力を持つことではない。人の持つ強み・創造性を発揮させ、社会の利益につなげる責任を持つということだ。マネジメントは、人を活かす責任、そして組織に高い成果を上げる責任を持つものなのである。

また、ドラッカーは『マネジメント』の序文で渋沢栄一を名指しし、

「私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は“責任”にほかならないということを見抜いていた」

そう高く評価したのである。

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渋沢栄一の仕事と生き方

渋沢栄一は、その著書『経営論語 渋沢流・仕事と生き方』において、次の章句を引きながら企業の社会的責任に言及している。

もし博(ひろ)く民に施して能(よ)く衆を済(すく)う有らば如何(いかん)。
仁(じん)と謂(い)うべきか。

子曰(いわ)く、何ぞ仁を事とせん。
必ずや聖か。『論語』

孔子の時代は今日のように商工業が盛んではなかったため、『論語』には商工業についての方法、すなわち、いかにして商品をつくり売ればよいか、また商業道徳はいかなるものかということが一切説かれていない。

しかし、仁は道徳の基本であるから、人と人とが接し、また国家を治めるにも、みな仁が基本になると考えれば、当然実業においても仁が基本となる。政治にも個人日常の交際にも仁が必要なのに、実業にのみこれが不要ということはない。

私は会社を経営するにあたっても、当事者が利するだけではいけないと考える。

会社の利益を追求するのは当然であるが、同時にこれによって公益を追求しなければならないと信じ、今日までその方針で万事にあたってきたつもりである。

これは、孔子が『論語』に説いた広義の仁を、現代の日本で実地に行おうとする意思によるものである。

経営の本質とは責任である

経営の本質とは責任である

たとえ中小企業や個人事業であったとしても、経営をするということは、責任を負うということだ。

まず、お客に対して責任を負い、従業員に対して責任を負い、家族に対して責任を負い、そして、自分の人生に対して責任を負うのだ。さらに、地域社会に対して責任を負い、空にに対して責任を負い、世界に対して責任を負うことである。

自分の利益だけではなく、公益を追求することこそが経営の本質なのだ。具体的には、経営活動によって、利益を上げて、それを社会に還元すること。これこそが経営の本質だということである。

あなたが会社やお店を経営するということは、多くの人との出会いがある崇高な仕事である。ビジネスというのは、お客様の欲する時に、欲するものを売ることだ。お客を満足させ幸福にさせる崇高な愛の仕事なのである。

そもそも、すべてのお客様は、とても寂しいのだ。欲しいものや必要なものが手に入らなければ、幸福を味わうことができない。あなたが提供しなければ、その寂しさは癒されない。お客様の寂しさを満足させることが仕事というものなのだ。

経営をすることとは、言い換えれば愛の仕事なのである。下手な宗教家なんかよりも、立派な愛の仕事をしてるのだ。

あなたのビジネスを自分の使命として、
一生の仕事として人生を全うできるかどうか?

お店や会社の経営は、一重にここを意識できるかどうかにかかっているのである。

実際のところ、マーケティングのテクニックや、多くの手法などは、枝葉末梢にすぎない。だからそんなものは、実際には無くたって大丈夫だ。もちろん、あればそれにこしたことはないが、それに頼ってはダメなのである。

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お客は嘘を必ず見抜く

どんなに上手に売ったとしても、お客はちゃんと嘘を見抜く。そして、だまされたと知ると敵に回ってしまう。それよりも、その心根の根本にお客への愛があれば、それはちゃんと伝わるのだ。

顧客をただ利益の対象と考えて

「あのお客からはいくら儲かるか? 」
「このお客からはいくら儲かるか?」

そんなことしか考えないのであれば、なんという、哀しい仕事だろう。そんなものは一生を貫く仕事ではない。

経営をするということは、そんなものではないはずだ。ビジネスとは、顧客にあなたの愛を伝える仕事なのだから。

「会社やお店の経営を通じて愛の伝道師になること。」

これが、私が伝えたい気の経営の根本部分なのである。

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