資本主義の本質とは自分が働くことではなく、資本に働いてもらうことである。問題は小さな会社の経営者の多くが、ここを勘違いしていることだ。多くの小さな会社の経営者が、夜も寝ずに働き、従業員に給料やボーナスを支払い、自分自身はカツカツの生活を強いられている。これは、基本の考え方が間違っている。資本主義で生きるためには「金を稼ぐために資本を使う」というのが正しい行動になる。(内田游雲)
profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトのテーマ「気の経営」とは、この世界の法則や社会の仕組みを理解し、時流を見極めて経営を考えることである。他にも運をテーマにしたブログ「洩天機-運の研究」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
ご恩と奉公が刻まれたDNA
私たちは、残念なことに仕事とは大変なものという先入観念を持ってしまっている。
これは、経営者であって同じである。
これは、私たちが子供の頃から言われ続けてきた、
「仕事はそんな甘いもんじゃない!」
「仕事だからタイヘンなのは当たり前!」
「仕事だから我慢しなければいけない!」
こうした言葉に、知らず知らず影響を受けてしまっているからだ。
では、なぜこのようなことになってしまっているのだろうか。
日本人の仕事に対する感覚を語る上で、忘れてはいけないものは、私たち日本人のDNAに組み込まれている、ある価値観がある。
それは、会社中心主義という価値観だ。
つまり、会社のためには、個人の考えや価値観は犠牲にすべきだという考え方である。
これは、自分で起業したはずの経営者でさえ、驚くほど影響を受けている。
この考え方の原型は、じつは平安時代後期あたりまで遡る。
あなたも「ご恩と奉公」という言葉を歴史で習って覚えているだろう。
「ご恩と奉公」とは、鎌倉時代の幕府と御家人の関係を表した言葉だ。
中世の武士間の主従関係は、決して片務的なものではなく、主人・従者が相互に利益を与え合う互恵的な関係で成り立っていた。
ここで、主人が従者へ与えた利益(領地)を御恩といい、従者が主人へ与えた利益(主人のために戦う)を奉公といった。
これは、平安時代中期から始まり、後の室町時代や江戸時代へと受け継がれ、戦国時代には、仕える主君との関係になり、江戸時代には、藩と武士の関係になっていった。
つまり、自分が使える主人(会社)が出世(成功)すれば、自分も引き上げてもらえるという価値観と視点につながる。
およそ、日本において800年前後続いたこの価値観は、世の中が混乱しているときに、より大きな力を発揮する。
第二次世界大戦敗戦後の日本は、混乱を極めていたので、このDNAに刻み込まれた考え方は非常に効果的に会社を大きくしていく原動力になった。
日本の会社が持っていた「終身雇用制度」は、この「ご恩と奉公」の典型的な制度だったともいえる。
資本主義社会で生きている
ところが、社会が成熟し安定してしまった現在は、会社と社員の関係が「ご恩と奉公」ではなく、資本主義経済の「雇用関係」となってしまった。
そのため、「滅私奉公」してもいつ首を切られるかもしれない。
会社も効率を第一に考えていますから、リストラをしなければいけないとなっていった。
こうして、これまで日本の経済を支えていた基本的な価値観が崩れ、現在の混沌とした日本経済になってしまっているのだ。
じつは、日本の経済システムは、世界的にみてかなり特異で、「会社中心主義」というのは資本主義においては本来ありえない姿であり、資本主義である今の時代からずれているのである。
もちろんこうした資本主義については、いろいろな意見があるが、もし、あなたが経営者であり、利益を求めるならば、その大小にかかわらず、その道を支配しているのは資本主義であることを認める必要がある。
そして、それを応用しなければならないということもだ。
資本主義があたかも有害なもののように主張する政治家や、扇動者達の偏見に惑わされてはいけない。
誰がなんと言おうと、この世界は資本主義であり、資本主義の法則に支配されている世界なのだということを自覚しなければならないのだ。
資本主義とは資本が一番の世界
まず知っておくべきなのは、資本主義の「資本」というのは「労働」のことではないということだ。
確かに、「労働」は金を生み出すので、労働で金を生み出すことが資本主義の基本のように思う人もいるかもしれまない。
しかし、それは資本主義の原始的な一面を示しているだけであって資本主義ではないのだ。
○○主義というのは、それが一番と置き換えるとわかりやすくなる。
もし、労働が最重要であれば、資本主義ではなくそれは労働主義なのである。
しかし、資本主義とは、資本が一番にあるのだ。
世の中で一番大事なものは、資本だと言っているのである。
今の世界は、誰もが知っているように資本主義なのだが、労働に生きている多くの人は「資本主義で生きているのではなく労働主義で生きている」のである。
会社が大きくなればなるほど、会社の目的は、お金、つまり利益を最大にすることになる。
また、会社で一番偉いのは社長ではなくて、資本家(株主)ということになる。
これでは、日本型会社主義が機能しなくなるのは当然で、これまで社長(主)と社員の主従関係が中心でよかった会社が、社長と株主の関係が中心になる。
だからそこに、「ご恩と奉公」といった価値観が入る余地はなく、社員は単なる労働者として扱われる。
資本主義の本質とは自分が働くことではなく、資本に働いてもらうことである。
問題は小さな会社の経営者の多くが、ここを勘違いしていることだ。
多くの小さな会社の経営者が、夜も寝ずに働き、従業員に給料やボーナスを支払い、自分自身はカツカツの生活を強いられている。
これは、基本の考え方が間違っているからだ。
あなたが資本を使う理由は何か
「金を稼ぐために労働する」という発想は資本主義的ではない。
資本主義で生きるためには「金を稼ぐために資本を使う」というのが正しい行動になる。
少なくとも経営者であるからには、資本主義に生きていることを自覚して、資本主義者として振る舞うことが必要なのだ。
つまり経営者は働いたら負けなのである。
どうすれば働かずに金を稼ぐかを考えることが資本主義における経営の本質なのだ。
そして、ここにもう一つ需要なことがある。
こうした資本主義的行動が、あなたの人生の目的とちゃんと合致しているかである。
会社を経営するということは、人生をその会社にかけるということだ。
人生の目的とは、言い換えれば「資本を使う理由」だ。
経営をすることで、何を実現していくかということだ。
それは、社会に向けてでもいいし、自分の人生でもいいのだが、とにかく、明確な人生の目的が必要になる。
こういった人生の目的は、通常は、自分の魂の奥深くに埋められている。
これこそが、生きる目的であり、資本を使う理由なのだ。
この理由を明確にして、経営の方向性を合致させ、それに対して、資本をどのように使っていくかが、経営の最も基本と言えることなのである。